"映画"カテゴリーの記事一覧
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映画館でみました。
ちょっと前(数日前)にみた、「マミー」という作品がなかなかの良作だったので、その監督の主演映画というのと、精神患者を描写したものということに魅かれて鑑賞。
たしかに主演の演技はすばらしくエキセントリックでした。でも個人的にはあの院長先生の人の演技がかなり好印象としてのこっている。
一言ではいい悪いはいえないが、いい映画、だけど見てて退屈さは感じる。
ずっと診療室内の会話のやり取りだけで進んでいくのでね・・
しかもマイケルと医師のテンションと流れがずっと変わらないので飽きます
つまり「翻弄する精神患者」「いらいらする医師」という映画お決まりのパターン
マイケルの態度もいらいらしましたが、診療室という場所に私事を持ち込んでる医師、診療がうまくできてない医師にもいらいらしました
これ見てる人面白いのかなあ・・
あとこの主演を演じてる(マミーの監督の人)はどうもマザーコンプレックスとトランスセクシャルをテーマに描くのが好きみたいなので、今回の、プラトニックゲイ・マザコン、の役ははまってる気がしましたが、ちょっと演じ方が露骨かなあとも思いつつ。
ざっくばらんに言えば、テーマは「転移患者の末路」。
そんなのは叶うはずもない、しかし閉鎖空間にいる患者にとっては救いの神=自分のすべてをささげたい対象、にでもなるのでしょう。
この映画の事件の真相、自分の予想
マイケル(患者)はローレンス(医師)と心をうまく通わせられていた
マイケルはローレンスを一人の男性として愛している、ローレンスはマイケルを一患者として愛しているという状態
マイケルは自分の思いを伝える、ローレンスは受け入れるがあくまでも患者として
(ひとつの疑問がここ、そもそも患者に愛されてるみたいな状態になれば主治医を変更するなりするはず。それをしなかったのはローレンスは「この患者は他では手があまる」と思ったからか、「時間をかけて理解されていく」と思ったからか、それとも医師不足で(最近一人解雇になったらしい)ほかにいなかった?)
マイケルがクリスマスにローレンスに「一緒にすごそう」的な提案をした、ローレンスも同意
マイケルはクリスマスが来るのが楽しみだった
クリスマスプレゼントはナッツチョコがいいというマイケル
(ここがもうひとつの疑問、そもそも患者のアレルギーを主治医が把握してないはずはない、しかしなぜローレンスはナッツチョコを用意したのか?
あとクリスマスにマイケルはローレンスの前でナッツチョコを食べようとして、もしくは食べて必死に延命されたかったんだろうか?
あとはそのときにキスでもしたかったのか?
というのも結局彼は、自分の意図してない男に救助のキスをされていたので、これがローレンスだったら・・と願っていたのかもしれない。最後に「すまない」といって泣いてくれたのも、別の医師(主人公)だったけども、あれはローレンスであってほしかったのかもしれない。
最後のワンシーンで、そのローレンスが映りますが、どこか主人公に面影はにてる俳優だったのも印象的)
しかしローレンスの家族(姉)が脳卒中で倒れた
マイケルとローレンスはクリスマスを過ごすことをなくし、マイケルは「いかないでくれ」などといったのかもしれないが、ローレンスはいってしまう
ローレンスの最大のミスは、職場にいなくなる理由をきちんと職員に告げなかったこと
自分より家族を選んだローレンスにたいし、嫉妬や怒りなどを覚えるマイケル
困らせてやろうと思うより、ローレンスのメモを渡したくないと思うマイケル(大事な人の大事なものは独占したいみたいなあれ)
そこに「ローレンスがいない理由を知っているか?」ということを尋問のように聞いてくる一人の医師が現れる
どうやらこの医師は自分の手にしているローレンスのメモを見たいらしい
面白半分でその医師と会話をする
医師には家族があり、その家族とのごたごたがあるらしい
自分も家族のごたごたがあり、ローレンスもじぶんより彼の家族のほうを選ばれてしまい、その家族のことで医師を困らすことにする
というようなのがあっての映画本編という感じなのだろうか・・
こうみるとマイケルは精神病でもなんでもなく、知能犯に見える。
相手を翻弄して楽しんで、自分のことだけを考えている
でもこう考えると、こういう面(ローレンスとマイケルの愛が交錯する診察シーン)ともっと浮き彫りに描いたほうがこの映画はもっとスリリングで激情的になったかもしれないが、そうするとチープになったかなあ・・
でもそういうのも見てみたい
見るものによってかなり感想は変わるかなあと思いますが、映画を見てる時点はあんまり面白いという感じはなく、あとでいろいろ考察すると面白さが見えてくる映画
つまり結末を知った上で、何回か見ましょうという映画
ていうか、あのポルノ写真はどこで撮ったんだろう???
自分でポーズとって自分でオートタイマーでとったんだろうか?
それともローレンスの前の主治医なんだろうか・・
それとも入院前に虐待されてたのは事実なんだろうか・・
あとこのマイケルの病名が分からないのですが、まあカルテ見れないのでわからんのはわからんのですが、そんなに行為障害もないし、なんで退院できないんだろう・・という
途中で彼が昔の思い出の映像、音を 思い出すシーン、環境音をそれに錯聴してるシーンありますが、音への過敏性みたいのもあるのか、映像をはっきりくっきり覚えてるみたいだしなどとぼんやり
しかし普通に会話してるし、目も合わせられてるのでやっぱりそんなに精神病という感じもしない
薬も飲んでいるとのことだけど、副作用みたいなのもなさそうだったのでそんなにきつい精神科の薬は飲んでなさげあ
最後に主人公(院長)と看護部長がそっと寄り添ってるのは、一人の患者を必死に救うという場面を経験して、娘のことを思い出し、感情をそこで爆発させられたから、なのかも
とか
いろんなことが含まれており、いろんなことが思える映画
エレファントソングというのは死に向かう人への愛の歌なんだろうな
(ちなみにOPの母が歌っていた曲はオペラ「私のお父さん」です、なんでこの曲にしたのか・・??というのが疑問。まあ有名曲だからかもしれないが、個人的には同じプッチーニでも「蝶々夫人」のがテーマ的にぴったりだった気もする・・ )
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←こっち側の映画です
映画としてはつくりが非常に主観的で圧迫感ある感じで、すごく見にくい作品というイメージ
しかしそれは追い詰められた母親の心理の視点なので、なるほどと
また文句言って申し訳ないのですが、この邦題とこのジャケットはあまりにも本編と無関係に思えてやめてほしい
原題は「我々はケヴィンのついて語り合う必要がある」です
そしてジャケットから漂う「美少年に翻弄されるおばはん」みたいなのは全くなく、愛情のかけ方がわからず子供との関係が悪くなって修正効かなくなっていく母とその息子の苦悩です
母親視点、なのがこの映画のミソで、母親視点だから「息子が何考えてるのかわからない」という感じで息子はつねに飄々としてるんですが、そんなわけ無い
母親の子供への接し方がかなりぎこちなく、ここに「この女性の深い人間関係の築けなさ」という欠点が見えます。
しかし映画の紹介文では「何故か母を憎むようになる息子」という記載ありますが、この母に対し感受性の高い子ならこの反応もありえるだろう、という感じ
思うのが、赤ん坊の息子をあやすシーン、母は高い高いをしているが決して抱きしめていない
それで子供は泣きっぱなしです
ベビーカーでも泣いている、母やうんざりという顔
子供はなくものでそれに苦労するのもわかるけど、そんなに毛嫌いしないでもいいだろうという感じ
一生懸命やっているけど愛情が伝わっていってない、というのがわかります、母が悪い
しかし母は自分の接し方の問題ということには気づかず、子供が自閉症じゃないかと病院を受信したり、してます
あとは問題はこの父です
お前の接し方が悪いんだろ、ということは言いません
「この子いい子じゃないか」で終わりです
子供=いい子、ということしか見ていない
子供が母と接した時に具合悪くなってるという変化を見ていない
ここら辺の表現はこの監督、役者、全てがすばらしかった
こういうのあるある、という具合で、極端すぎず、また微細な表情で演じていてすばらしい
とくに母親役の女優の、笑ってはいるけど心からは笑えていない、という演技の仕方はすばらしい
母親視点でバラバラの時間軸、何度も同じシーンを別角度から移したりもしている
これは息子が最後の最後に大きな事件を起こし、その悪夢から立ち直れない母が「あれがいけなかったのか?これが悪かったのか?あのときはどうだったろう」などと振り返って自分の過去と息子の過去を思い出しているから、というインタビュー(父親役の人)がありましたが、なるほどと
映画としてはつねに苦しい表現が多く、ハッピーで笑えるシーンは皆無に近いため、見てるとどんどんうつ気分半端なくなりますが、母と息子の心理的亀裂というのを表現した映画の中では秀逸な作品でした
母視点ですが、これ息子視点いれなかったのがまたすばらしいと思う
息子視点、つまり母に愛されずに辛い思い出生きてきた息子の心情を描けばこれは感動のヒューマンドキュメンタリーにもなっていたでしょう
しかし母視点のみ
それが「最後まで母が息子の心理的葛藤、苦しみを見いだせない」で終わり、恐怖の対象となったままで終わるということにはホラーも感じます
そのホラーのまま終わりかける最後のシーンで、母が言う
「なんであんなことをしたの?」
「わからなかったの?」
「・・・・」
そして母は抱きしめてました
その必要性を理解しないと行動に移せない、相手から求められないと行動できない母にしてはよくやったと思う
その時の息子の表情を私は忘れてしまったんですが、それを見るためにも、
もう一度見直したい
いや、何回も見返したい映画かもしれない
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近場の映画館でやってたので見に行きました
英題は「still life」=「静かなる生」です
もう改変邦題には何も言いません・・
映画自体は非常に高品質なイギリス映画という感じ
予告編をみただけではもっとコメディタッチのにぎやかな映画なのかと思ってましたが
いい意味で裏切られました
音のない映画、サイレント映画のよう
というのも、会話がほとんどなく、登場人物の動き、表情、音楽ですべてを語ってる
イギリス映画の古典的手法を使ってますが、どれも良くできておりました
主人公の人となりがこの表現だけ、それだけで分かります、映像をとる監督もすばらしいですが、この俳優の演技がすばらしいと思いました
ナチュラルに演じられてますが、実際これをやれといわれれば難しいでしょう
この映画を表現するならば
ロボットのような仕事人間が、感情を持ち出したとたん、無理なことをしてしまい急停止してしまう、しかし感情を持ったあとにレールを外れて走り出したときの表情は笑顔に満ちていた
です
私がこの映画で一番好きなのは、この直前のシーン
主人公が犬のマグカップを選んで手にしているシーン
マグカップをどうしてみてたのか
彼は、人とかかわりをもつことをしなかったプライベートで出会った女性を初めて思ったのだろう
今までは死んだ人を思うだけだったのに、生きてる人をはじめておもった
そしてマグカップは二つ、自分と女性用
この少し前のシーンにある
「いつでもなんでもできる、生きてるんだから」
の主人公の女性への台詞もすごく印象的だ
この展開ありきで、この感情を持つまま彼を急停止させた。
残酷に思えた
しかし、人の死は「最高の瞬間にとめること」がすばらしいものだと思うのなら、恍惚を感じながら人生を終えた彼は幸せだったのかもしれない
だが、死、は人の生の中で一番残酷なシーンなのは間違いない
そんなことよりもっと残酷なのは、最後まで女性が彼の死を知らなかったことだ
自分の死を知られないことはやはり残酷なのだ
主人公が「こうなってほしくない」という死のあとの葬儀をまさにこの主人公が体験してしまう
ここにこの映画の感傷が強く刻まれている
そしてさらに残酷なのが、
最後、いるはずの彼がいないことでさまよう女性の視線を「捨てられた?」イメージで描いたこと
その目は「いるはずの主人がいない」ことでさまよう捨てられた犬、のように見せたこと
女性は保健所で処分される犬のところで働いているという設定だ
女性も「このような犬を増やしたくない」と思っていたはず
しかし自分がそれを体験してしまうのだ
主人公も、女性も、自分の性質に近いものがなくなっていく、もしくはなくなる場所を仕事にして身をうずめていた
「こうした仕事をしているが、こうした人(犬)を出したくない」と思ってはいたはず
しかしそれを体験してしまうのが自分
その悲劇を淡々と描いているところにこの映画の残酷さを感じる
ストーリーは、身寄りなく孤独死した人を処理するという立場にいる主人公の話
ところどころに感じる主人公の「人とかかわらない」という描写もあったのが印象的だった
何度も電話してるシーンがある
が、その際相手の声は聞こえるかな?ぐらいでほぼ聞こえない
主人公の声のトーン、主人公の話してる会話の流れだけでほぼどんな会話をしてるかが分かるが、このシーンだけ見ても「会話」というイメージがない
主人公は電話機という機械を扱ってるだけ、に見える
決められた道を毎日通る
同じ道なので、同じように人が窓辺でタバコをふかしてるシーンもある
しかしその人と交流することはない
タバコを吸ってる人も、ここにまいにち通ってる主人公、などは風景の一部だろう
ある日突然その人物が自分の視界から消えたとしても気づかないと思われる
電車を行き先を背後にして座る、
これはどうも主人公の癖のようなのですが、かなり奇妙に見えた
テーブルや仕事机に乱れを許さない、食事は決められたものだけというものをみても、彼は決められたもの以外をしようと思わない
これにも奇妙さを感じる
彼は自閉症のひとがする、儀式的行動をよくした
動作一連からしてそんな感じだ
要領の悪さも自閉症チック
そうなると、なぜ「人とかかわらない」ようになったか
という疑問が「かかわりたくても人との距離感がつかめないから」なのだと、分かる
人とかかわりを持たない人というのは、
・人とかかわるのが好きじゃない人
もいる
・人とかかわることをしたいがそのきっかけが見出せない要領の悪い人
もいる
主人公は人とかかわるのをうるさくは思わないし、自分の「感情」を動かす相手にはかかわろうということもしてる
かかわりたいけど距離感が分からなかった
仕事はできても、要領が悪かった
ゆえに無駄も多く解雇された
この映画を見て、もっと人とかかわろう!みたいな考えは浮かばなかった
そういう啓蒙を感じる人はずいぶんと前向きにこの映画を見てるな、と思う
楽しい、やさしい映画とも思わない
ただただ残酷な映画
すごく胸を刺す映画と思った
おそらく自分の思うところにこの映画が反映されたのだろう
この映画は、見る人の心を映す作品にも思えた
私は、常に、人とのかかわりの距離感を推し量り、そして悩み、そして一人を選んでいる
しかしたまに疑問を持っている
だからそう感じたのだろう
追記
パンフレットを読んだが、見当違いのレビューが並ぶ中、主演のエディのコメントが本当にすばらしかった・・
この映画と主人公をあまりにも的確に表現している
本当にこの俳優の読解力はすばらしく、それに基づいた演技なのだと改めて思った
すばらしいと思う記載をいくつか抜粋するが
()内は自分の思うところ
「孤独死の葬儀をする仕事をするということは、どんなに奇妙で孤独か」
(これに、彼の性格傾向を持ってしてはじめてあの奇妙な仕事ができたのだなと思った、22年、普通の神経をもっていたらそれ一色でやるなど到底無理だろう、彼のような「人とかかわらない」という、この仕事の他に面白さを感じない人だから淡々と、発狂することもなくこなせたのだろう・・)
「彼は一人だけど、孤独ではない」
(これも私は思っていたところ、つまり孤独さを感じない、さびしくはない、さびしいという感情もない)
「死んだ人について責任をもつことに、安心と喜びを感じている」
(安心、という表現が本当に的確だと思った。彼は仕事に満足してるし、やりがいというより天職だと思っていたのでは?)
「仕事を失ったとき、逃げ場がなくなってしまい、人生を真正面からむきあわねばならなくなる」
(つまり、彼は自分の人生の意味を、探さなくてはならなくなる・・この表現もうまいなあ、と思った)
「ビリーのカオスに満ちた生涯は、主人公のきちんとした生活とは鏡像になっており、
そして(対のアパートという)距離だけはなく、主人公の生活とも対になってる」
(すばらしい解釈、まさにその通りです)
「ビリーの生涯の調査はジョンを地理的だけでなく、心理的な旅にも連れ出します
そして人生が彼に平手打ちを食らわせるのです」
(私は、急停止、と書きましたが平手うちときましたか・・この表現うまいわ)
この俳優さんが好きになりました
本当に、すばらしい・・